ステージ4大腸がんだった父の生きる意思

題が、
何だか正しいニュアンスではないので、訂正しますが、父は元気です。
大腸癌が見つかってから、17年程度。
父はとても元気に、今日も仕事をし、畑を耕し、プラスチック容器を細かく切りながら、ごみ袋代を節約しようと、一生懸命です。

そんな私たち家族にも、
辛い時期がありました。兄が骨肉腫でなくなり、続いて父に大腸癌が見つかった17年ほど前の数年間。

私たち家族は、癌という手強い病気に苦しい思いをさせられました。何年も何年も。

あの頃の私と母親には、こんな17年後が私たち家族に待っていることは、
とてもとても考えられなかった。

けれど、
父には、見えていたのかもしれません。
続いて行く気がする自分の人生を感じていたのかもしれません。

今でも覚えていますが、
一回目の手術を終え、それでも骨肉腫が残っているために、抗癌剤をうっていたころ。

体調はあまりよくなさそうで、
肌は黒く、体重もだいぶん落ちていました。

そんなある日、
母親が私に話しかけてきました。

ねぇ、これ。

そう、差し出されたのは、1枚のはがき。

よく見ると、宛名は父親。
高校の同窓会の案内でした。

出欠を明記して返信するようになっているはがき。
同窓会の日にちは、3ヶ月も先。

母親も、私も、
キット同じことを思ったと思う。

3ヶ月後か。。。

それは、とてもとても暗くて何も見えない未来のことに思えました。

お父さんに、見せる?

そう聞く母親に、

うん。渡そう。
となんとなく答えた私。

それから、
実際母親が、父にそのはがきを渡したのかどうかも知らずにいたのですが、

数日経って、
台所のテーブルに、そのはがきがポツンと置いてあるのを見つけました。

よく見ると、

出席に、マルがしっかり書いてある。。!

涙が、ポロポロと溢れてきました。

とても悲しいけれど、どこか、ほんの少しだけうれしい涙でした。

明日さえ分からないと思って生きていると、
明日も生きようという意思を感じるだけで、
涙だ出るほどうれしいわけです。

あのはがき事件は、
あれから、何年も経って、家族の笑いはなしに変わりました。

結局、父親は、
あの同窓会に、抗癌剤治療の真っ只中、
黒い顔をして行きました。

同級生に、なんだか色黒になったなと言われたそうです。

そして、家庭菜園を始めたら、日焼けしたみたいだと返したそうです。

食べ残してきた宴会のご馳走をパックに入れて持って帰ってきて、
明日、食べようと言っていました。

父にとっては、
いつでも明日があるみたいでした。

明日はどうなるだろう。
マーカーは下がらないまま。
治療は続くまま。

毎日、毎日それ繰り返し。

でも、
ある日、マーカーが下った。そんな日が私たちにやってきた。

医者には、もう少し様子見てみましょうと言われた。

そしたら、次も、下がっていて。
その次もさらに下がって。。

マーカーが下がり出した頃の、
生活の変化は、また今度話すとして。。

大きな大学病院の名誉教授は、
不審な顔をするばかり。

確かに、骨肉腫がここにあったんだと、
そのレントゲンとにらめっこ。

いつの間にか、
父はがん患者ではなくなりました。

そして、もうあれから何回も同窓会に行って。
何回もご馳走をパックに入れて持って帰ってきました。

未来は、結局誰も知らない。
自分だけが、なんとなく、死に際に気付くだけです。