生きる人と死ぬ人

昨日、友人御見舞いに行ってきました。
彼女の病気は、大腸癌及び子宮癌。ステージ4。二種の癌が他の臓器に転移しているそうです。

余命は本人たちは聞いているはずですが、
私は特に聞きませんでした。

私は30歳半ば。
10歳の時に14歳だった兄を癌で亡くしました。骨肉腫でした。片足切り、肺の一部切り、それでも1年半の短い闘病生活でした。
その後、従兄弟も骨肉腫になり、彼女の母親も、そして父親も。みんな発病から1年から2年で亡くなり、
私が18歳の時には父に大腸癌が見つかりました。
父も転移が見つかり、また骨にも癌が見つかり、ステージ4。余命宣告もうけました。

ここまで来ると、なんとも暗い話ですが、
この話には、以外なオチがあります。これは私が経験してきた本当の話です。

あれから15年、父は生きています。
5年後の生存確率が数%と言われていた父は、昨年脳梗塞を発症するまで10年以上病気なく生きてきました。
ちなみに、脳梗塞を発症し、半身不随になっても、相変わらず、仕事をし、車で旅行をし暮らしています。

さて、私は、多くの人の死に立会い、
一つ確信したことがあります。

人は自分が死ぬ時がわかるということ。
死が近づいてくる気配がキット分かると思います。

昨日、御見舞に行った友人は、
抗癌剤治療で髪がなくなり、15キロも痩せ細っていたのですが、スペインの立派な家庭のお嬢様らしい気品はまだ健在で、(私はスペイン在住です)
背筋をピンと伸ばして歩くのです。手を貸そうとすると、いらないわッと、払われました。

彼女は強い。
でも、彼女はもう、納得をしている様子でした。
自分の病気は治らないこと、そして自分の命もそう長くないこと。

私は小さい頃から、彼女の様に納得した肉親を見続けてきました。父親以外。

父は、納得できなくて、もがいていたわけではありません。諦めない勇気があったという問題でもありません。

キット、自分の死がイメージできなかったんだと思います。医者に何を言われても。
体調がどれだけ悪くなっても、彼は今まで出来ていたことを、ただやり続けようとしていました。

父の闘病生活は、また別の機会詳しくお話ししますが、

私が思うところ、
統計では読み取れない、各個人の生命力というのは、実は、自分がその限度を知っている。

お医者さんでも、誰でもなくて、
自分が感じるものだと思います。

だから、人間は、キット死ぬ準備ができてから、死ぬんだと思います。
母親と私は、病気の人の顔が柔らかく穏やかになる瞬間を何回も見てきました。死が近づいてる瞬間です。

だから、周りは悲しくても、本人は周り程悲しくはない。そう思うのです。
大切な人を亡くしたことでやってくる、受け入れようのない悲しみは、
もう、自分との戦いでしかないのだと思います。死んだ人が可愛そうではなく、ただ自分が悲しい、その戦いです。